日本プロ野球は、戦後の混乱期を経て、1950年にセントラルリーグ(セ・リーグ)とパシフィックリーグ(パ・リーグ)の二つのリーグ制へ移行しました。この分裂は、当時の日本野球界におけるチーム数の増加と、アメリカ大リーグのナショナルリーグとアメリカンリーグの形態を参考にしたものでした。ここから、日本プロ野球は本格的な発展を遂げていきます。
セ・リーグは、読売ジャイアンツを中心とする人気球団が集まり、マスコミの支援を受けながら成長してきました。巨人の黄金時代を築いた川上哲治監督のV9時代(1965年~1973年)は、球界の歴史においても特筆すべき時期であり、セ・リーグのブランド価値を大いに高めることとなりました。その影響もあり、セ・リーグは長らく観客動員数やメディア露出において優位に立ち、プロ野球の主流としての地位を確立してきました。
一方、パ・リーグはセ・リーグとは異なる独自の発展を遂げてきました。設立当初から経営基盤が脆弱な球団が多く、観客動員数でもセ・リーグに遅れをとる時代が続いていました。しかし、パ・リーグは新たなファン層を獲得するために、積極的な改革を行いました。
1973年には指名打者(DH)制を日本で初めて導入し、試合の攻撃的な展開を生み出しました。この制度は後にセ・リーグと一線を画す要素となり、パ・リーグの個性を確立する大きな要因となりました。
1990年代以降、パ・リーグは大胆な経営改革に取り組み、地域密着型の運営を強化しました。2004年には球団の経営危機から球界再編問題が起こり、オリックスと近鉄の合併、新規参入球団として東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生するなど、大きな転換期を迎えました。
これを機にパ・リーグはマーケティング戦略を見直し、インターネット配信を積極的に取り入れたり、ファンサービスを充実させたりすることで、徐々に人気を回復していきました。
現在では、両リーグの人気は拮抗し、パ・リーグはセ・リーグと同等、あるいはそれ以上の競争力を持つまでに成長しています。交流戦の導入やクライマックスシリーズの採用も、リーグ間の競争をより白熱させる要因となっています。
かつてはセ・リーグが優位だったプロ野球界も、パ・リーグの発展によってバランスが取れるようになり、日本プロ野球全体の成長につながっています。
こうしてセ・リーグとパ・リーグは、それぞれ異なる発展を遂げながらも、日本のプロ野球を支えてきました。両リーグの特色があるからこそ、プロ野球はより多様な魅力を持つスポーツとして多くのファンを惹きつけています。